摂理/引き上げ復活 [摂理/主日メッセージ]
摂理の鄭明析(チョン・ミョンソク)先生が伝えられた主日の御言葉から抜粋です。
[摂理の主日の御言葉より]
<2017年4月16日 主日の御言葉>
<主題>
引き上げ復活
<本文>
コリント人への第一の手紙15章50~58節
1)50)兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。51)ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。52)というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。53)なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。54)この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。55)「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。56)死のとげは罪である。罪の力は律法である。57)しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。58)だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。
[御言葉]
摂理の鄭明析(チョン・ミョソク)先生の御言葉から抜粋です。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。
<復活の歴史>は「死によって来た歴史」です。<死>は「肉体の死」のことも言い、「霊の死」も言います。また考えと肉の体と魂と霊がいるのに<機能>をちゃんと果たせない人は「死んだ」と言います。
開発すべき所なのに開発しなければ「死んだ地域」であり、開発すれば「復活して生きている地域」です。人間も<開発すべきところをしていない人>は「死んだ人」であり、<開発した人>は「復活して、生きている人」です。
<苦痛の期間、刑罰の期間>は「死んだ期間」であり、その期間を抜け出せば「復活したこと」です。
このように、「死んでいること」を比喩で話されて、回復して抜け出せば「復活した。生き返った」と極的に表現します。
肉体が死んだ人が復活して生き返るなら、どれほど不思議で、うれしく、感激し、よいことでしょうか?
これと同じく「死んでいるの」が回復して生き返れば、まるで死んだ死体が生き返ったことのように不思議で、うれしく、感激です。
これから「死んだもの、古いものを早く葬ること」が「最高にすべきこと」です。死んだ人を葬るように古いものを葬る順番どおりに得て、三位と共に宴会をすることを願います。個人・家庭・民族・世界的に心霊の復活、肉体の行ないの復活、信仰の復活を成すことを祝福します。
(アーメン)
摂理の鄭明析(チョンミョンソク)先生が伝えられた御言葉より~摂理~
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